2025年1月24日金曜日

内海裕菜/出展作品

2025 NEW YEAR EXHIBITION 《 Progress 2 》
Tabinosoraya Presents/Feat. 長岡造形大学学生・大学院生8名の展覧会

1月15(水)~26(日)※1/17、22休廊
OPEN 11:00~17:00 ※最終日は16時まで


◆内海裕菜 / UTSUMI Yuna  (美術・工芸領域 修士課程1年)


略歴・コメント⇒ 
Instagram @anuyimustu
在廊予定 1/18・23(両日とも12~17時)





《 Empty 》

インクジェットプリント/841×1189㎜(フレーム除く) 2024年



2024年春、長岡造形大学・視覚デザイン学科を卒業し、修士課程に進学した内海さん。

卒業制作は自身が撮った写真を生成AIに「拡張」させたものを用いた作品で、AIが学習した情報を元に出力した「架空」の部分のみを提示し、それをどう見るかを問うものでした。

ここまでの紹介ページに掲載してきた
以下5枚の画像は、その作品〈WHO OWNS THE MISTRANSLATION?〉(2023)を構成した画像の一部で、内海さんが写した実際の景色ではなくAIが生成した架空の光景。

鑑賞者は、作者が撮ったどこかにある景色を写したものと思い込んで見てしまいますが、
実は、実在しない「つくられた光景」でした。





〈WHO OWNS THE MISTRANSLATION?〉(2023)より









内海さん曰く、AIはこれを「景色」とも思っていないのではないか、自分が撮った画像データを学んだ結果、その外側にはこのような「色」が続くのではないかと想定し、実在しそうな色彩を出してきているのではないか、とのこと。

「写真」は真実を写したもの(少なくとも実在して見えたもの)であるとすれば、
AIの生成画像は「写真」と呼んでよいのかどうか、、、

作家メッセージに綴られた「現実と虚構の境界を探る表現を作品制作へ取り入れている」
というのは、例えば、このようなことでした。



 




一転して今回は、自らが撮った写真のみ、3枚をご出展。

修士課程2年次に向けて更に研究を掘り下げていくうえで、
改めて自らの「写真」に向き合った、節目の作品でもあるようです。





《 Empty 》画面中央部分



大画面にプリントされた《Empty》は、12月の「ゆいぽーとレジデンス」の際に撮った写真。

彫刻の宮川晴香さんが約ひと月滞在したのと同じ期間に、
内海さんは約2週間滞在し、フィールドを共有しながら過ごされました。

限られた日々の中の、他者との関わりや、リアルな実感の中から生まれた作品。


掌に包むことのできるくらいの、実在する存在を写しながら、
見えるものと、見えないものを見ようとする志向も含まれていると感じます。



 
 


《無題》

インクジェットプリント/178×127㎜(2023,2024)



もう2枚は、プリントのまま《無題》として展示された2枚一組の作品。

実在する風景を内海さんが撮った写真で、
同じものを見ても、思うものがそれぞれであることを探求する一環の作品。


ことばにならない個人としての想いがあるとのことで、解説はついていませんが、
わずかに提示してくれた情報として、キャプションには撮影地と撮影日が記されています。


2023.6.6 宮城県仙台市若林区荒浜
2024.12.9 新潟県新潟市西蒲区角田浜

さて、左右どちらがどちらでしょうか、、、(私は答えを知っています)


ふるさと宮城の海と、
レジデンスで僅かな期間を過ごした新潟の海。

太平洋と日本海。
太陽が昇る海と、沈む海。


一般的に対照的なイメージの海で、しかも季節が異なるにもかかわらず、
こんなにも似た色彩を放つひとときがあることを、
手元にある現像された写真を見て気がついたのだとか。


データにできることは多々あれど、
データだけでは起こらないことのあること、

ことばにならないやわらかいもの、あるいは荒々しいものの現れに
こころ惹かれます。


彼女が撮った「写真」に初めて出会って、かなりしびれています。

「撮れるひと」なのだと、、、今更ながらに知るとともに、
そのまなざしで切り取った、実在する世界をもって、なにかを伝えられるひとなのだと。。



みんな、みんな、
なにを生み出すひとになっていくのでしょうか…🌱✨