《 三人展 中庭 》
2024.7.9 tue ~21 sun
Open 11:00~17:00 ※最終日は16:00まで
🌻加納いずみ(インスタレーション)
🌻高畑杏子(写真)
🌻手塚千晴(木彫)
🌿「中庭」のInstagram@ nakaniwa.awa
《人生カレンダー》
紙、ほか
作者の誕生日から平均寿命までが綴られたカレンダーは、
人生の残り、に意識を向けて時間を可視化した作品です。
人生の残り、に意識を向けて時間を可視化した作品です。
平均寿命を表わす年月の帯の、どのあたりに今、居るのかと、
鑑賞者も自身の人生を重ね、思いを巡らせるかもしれません。
鑑賞者も自身の人生を重ね、思いを巡らせるかもしれません。
私は、まずは色とりどりの丸が付けられた「今日」の蓄積に、
我にも彼にも、よく生きてきましたね、の労いを。
我にも彼にも、よく生きてきましたね、の労いを。
そして、平均寿命を迎える頃のいずみさんには、
どうやら間違いなく会えないのだろうな、、、と思いながら、
カレンダーの終わりの西暦を眺めます。
どうやら間違いなく会えないのだろうな、、、と思いながら、
カレンダーの終わりの西暦を眺めます。
そこにあるのは寂しさではなく、
彼女たちは、それくらい未来を生きるひとたちなのだ、という
勢いのある芽吹きを見るような眩しさであるように思います。
勢いのある芽吹きを見るような眩しさであるように思います。
ですがそれ以前に、私はこのカレンダーを作成すること自体に、感服するのです。
前のトピックスでご紹介した「却」(こう)を調べる中で「億劫」(おっくう・おっこう)という言葉も出てきました。
作家とは、「億劫」にひるまないタイプのひとのことだと思っています。
カレンダーのハンコがあって、それを押していくだけです、とおっしゃるいずみさんは、
制作過程を「作業」に落とし込んでいくのが好きとのこと。
制作過程を「作業」に落とし込んでいくのが好きとのこと。
喫茶室奥の棚に展示されたドローイングも、そうした行為の蓄積の作品のひとつ。
《無題》
額装ペン画
ペンで引いた線に定規を重ね、白地の側に新たな線を引く、というルールを決めたら、
あとは極力感情を加えず無作為に、機械的に動作を繰り返し、その結果を見る、という作品。
画面の下に行くにつれて線が傾斜していくのは、左側の方が筆圧が大きいのでしょうか、
インクの滲みが太くなり、その軌跡に忠実に定規を当てた結果の傾斜だと思われます。
インクの滲みが太くなり、その軌跡に忠実に定規を当てた結果の傾斜だと思われます。
機械的であることを志向しながら、どうしても再現不能な、自らの手跡を感じる
ランダムな結果が導き出されることを、彼女はどう眺めているのでしょう。
ランダムな結果が導き出されることを、彼女はどう眺めているのでしょう。
そうしたことこそが、彼女の作品の核心であるように思いますが、
裏腹に、無機質なものへの憧れは募るものなのでしょうか、、、
いずみさんのかわいらしいキャラクターと相まって、ジタジタしている様子をつい
微笑ましく感じてしまいますが、
喫茶室窓辺の机の上にあるこれまでの作品を紹介した資料の中には、
卒業制作の頃の切実な気持ちが綴られていました。
卒業制作の頃の切実な気持ちが綴られていました。
卒業と同時に、もう作品制作はしないと決めて、彫刻の道具などは全て後輩に譲ったとのこと。
2019年に同期の二人と再会したのを機に創作を再開したものの、様々な素材を用いるため
作品に統一感がないように感じられ、「木」や「石」といった自分の代名詞になるような特定の素材がほしいと、つい先日は話しておられましたが、、、
作品に統一感がないように感じられ、「木」や「石」といった自分の代名詞になるような特定の素材がほしいと、つい先日は話しておられましたが、、、
私は今回の作品を拝見し、
いずみさんはすでに持っている、と思いました。
いずみさんはすでに持っている、と思いました。
それはもう、記されていたのではないかと。