2024年5月25日土曜日

スピンオフ/宮埼眞『一期一絵』

ひとつ前のトピックスでは、柏田良彰さんの作品から
彼方(あちら)と此方(こちら)を感じたというお客様が話してくださった
「死者との対話」というフレーズに触れました。


この会期では、私もそんなことを思いながら過ごしています。





柏田さんからは全29点というたくさんの作品をご出展いただきましたが、
その大半がギャラリー側に展示されたため、喫茶室壁面の余ったところには、
久しぶりに故・宮埼眞さんの「鋳物ART」を展示しました。





宮埼眞《火焔》


流れ落ちた鋳物の破片を見立てて設えた作品のシリーズ






奥のガラス棚に置いている発表当時の作品集には、
このように書かれています。

(画像をクリックすると拡大表示されます)






それ以上にお伝えしたいのは、
「一期一絵」(いちごいちえ)という言葉にも現れる生き様。







人生の辛酸甘苦を味わいながら、
「たまたま許されて与えられた今日一日」をどう生きるか、ということを、
言葉だけでなく、日々の新たな出会いや関わりのなかで、
ユーモアと行動をもって示してくださった方。








宮崎さんのことを語ろうとすると、今も尚、胸が詰まります。


2019年の逝去の折にプライベートブログに綴った追悼を再掲します。






《GIFT》

タイトル不明だったため、あとから命名させていただきました





《WIND WAY》



喫茶室のガラス棚の真ん中に展示している《風の通り道》と名付けられたオブジェは、
上越高田で営んでいた「caféたびのそら屋」でも飾らせていただいていた作品です。

2012年のクローズの折に一旦、お返ししたのを、
2018年に新たな場所を開くにあたり、再びお借りしてきた折、

飾り棚の寸法も測らずに行き、持ち帰る時になってハタと不安になったものの、
置いてみたらワイドも高さもピッタリだったのは感動でした。







飾り棚に置く物は時々変わりますが、《WIND WAY》だけは開廊当初より、
この地に友人のひとりもなき頃からずっと、長岡での日々を見守ってくれています。







《火焔》は、日ごろはプライベートゾーンに飾られ、
こちらも maison の御守りのような存在になっていますが、

このたび久しぶりにお客様にお披露目できたこと、
宮崎さんをご存じない方々とも話題にできたことは、

私が宮崎さんの作品を持って営んでいることの、ひとつの意味であると思っています。


いつも出展作家の皆様には、喫茶室壁面や奥の棚も存分に使っていただいていますが、
今回、柏田さんが余地を残してくださったことで、共に飾ることができ、

柏田さんの作品世界がもたらす、彼方と此方の境界が溶け合うような空気の中で
特別な思いで、慈しむことができていると感じます。







宮崎さんは経営者として稼業を革新的に営みつつ、
ギターを爪弾き、唄を歌い、写真を撮り、言葉も綴る方でした。

事務所に飾っている「旅たち」と題された詩は、たくさん遺された作品の中のひとつで、
長女のらんちゃんが、私のもとに置いてほしいと託してくださったもの。


ご家族の元にあった方がよいのではないかとも思いながら、


いつでも、ここに在りますよ、、、


という気持ちでお預かりした、おそらくは彼女に向けて綴られたであろう言の葉は、
生前、宮崎さんとも意気投合していた父の言葉のように感じる部分もありました。


記された日付は「20050319(2005年3月19日)」とあり、
そのとき私はまだ宮崎さんとは出会っていませんが、
奇しくも、高田でのcaféの開業(つまりは新たな門出の)準備真っ只中だった頃合いです。


当時、父はどんな気持ちで、娘の何度目かの冒険を
(まだ冒険し足りないのかとハラハラしながら)見ていただろうかと、、、


想像するしかない親心の計り知れなさに
鼻の奥がツンとなります。






《 旅たち 》



私の理解できる世界から
私の理解できない世界に
飛び立とうとしている人がいる

私には理解できないが
彼女の魂に正直な選択なのだろう

はばむのではなく
エールを送ろう

周囲の無理解と孤独を代償に

言葉では表すことのできない
パッションに突き動かされて

自分の魂の声に従おうと
決めたものにしかわからない
心の静けさと

古い世界からの離脱という惜別を
抱いて

彼女が見つめるその向こうには
彼女だけのために輝く
彼女だけにしか見えない
彼女の星が輝いているのだろう


20050319
宮埼 眞








《柏田良彰展》は5/26まで。
最終日は柏田さん在廊で、16時にて閉幕です。