2024年3月25日月曜日

出展者紹介⑤小山紀子

2024 SPRING EXHIBITION - Restart

4.1(月)~ 14(日)
Open   11:00-17:00 ※最終日は16時まで
Closed  4.4(木)、10(水)
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5名の作家にご出展いただく、maison de たびのそら屋 7度目の
春の展覧会。
会期が近づき、ギャラリーでは搬入がはじまりました。
今回は全員の予定が揃わず数日に分かれての搬入作業。
晴れた日には外回りの手入れをしながら、内も外も、徐々に春に近づいていくのを味わっています。


出展者紹介、最後のおひとりです。






小山紀子 / KOYAMA Motoko(写真・インスタレーション)


【略歴】

2000年 神奈川県横浜市生まれ
2023年度 長岡造形大学視覚デザイン学科卒業
20244月より 長岡造形大学大学院修士課程(美術・工芸領域)に進学

写真そのものだけでなく、オブジェクト等も交えながら 
なぜ人は写真を撮るのか” 
という純粋な問いに向かって制作・発表。
自費出版による
zine制作も精力的に行なっている。
Flotsam zine tour 2023参加。


Instagram @_800190
在廊日 4/1・14







【メッセージ】


本展示では、私が今年度卒業研究にて制作いたしました “Things for the lost / 失ったものたちへの献花” と未発表作品である “In my grandfather’s arm” 2点を展示致します

これまで制作を通して、常に「なぜ人は写真を撮るのか」という疑問に向かって制作をしてまいりましたが、この両制作はどちらもその問いの中で改めて「なぜ私は写真と共にあるのか」という起点に立ち返った作品となります

私は、写真が記憶を想起させる「装置」である、と考えています

私の展開する無数の写真群が、また鑑賞頂いた皆様の持つ写真の束が、いつか私たちを愛おしい記憶と共に救ってくれますように

 





小山紀子さんとの出会いは、昨年下期に続いた若者たちとの印象的な出会いの中のひとつです。

プロフィールにあるように、
この度、長岡造形大学を卒業し、同大学修士(前期)過程に進学予定で、
今しばらく身近なところで活動を垣間見させていただけることがとてもうれしいです。

2月の「卒研」で作品をご覧になった方には改めてのご紹介になります。
今回初めての皆様にも、彼女の探求の一端に触れていただき、これから
修士課程修了までの2年間の道程と、向かう先をたのしみにしていただけたらと思います。






最後の1枚のみ、卒研会場にてたびのそら屋撮影、他画像は作家提供です。

写真として切り取られ、こんなにも物質的でありながら、その集合体は鑑賞者が行き交う静かな気流の中で常に変容し、万華鏡のように全く同じ状態が再現されることはない…

瞬間を見せるインスタレーション展示でしたが、
流れる映像のようでもありました。


一年の中でも特別な光景を見せるたびのそら屋の春の窓辺。

紀子さんの作品と相まって繰り広げられる景色もまた、スペシャルであろうことを
確信しています。


皆様に、この春の日のひとときを重ねていただけますように。


Coming soon 🌸






【 2024年は、写真作品の出展が続きます 】

1月には鷲尾顕一さんによる神々しい山岳写真で、時空を超えた旅にいざなわれました。
4月の小山紀子さんは日常の風景を記録した写真を用いたインスタレーションがメインです。
7月の三人展では、高畑杏子さんが鷲尾さんとはまた異なるアプローチの山での写真とともに、作品に合わせて誂える額も「うつくしき瞬間を暮らしの中に」という作家の思いが込められた、たのしみな要素。
そして11月は川田淳さんが二度目の二人展に向けて、従来とは異なる手法の現像による作品に挑んでおられるご様子です。


写真にもカメラにも詳しくない私は、作家が選ぶテーマや被写体に着目しがちでしたが、撮るまでの行程とその後のことを聞くにつけ、それはそのひとの人生の在りよう、生き方が映し出されていると感じるようになりました。

デジタルカメラや高機能のスマホカメラの出現で、ある意味、誰もが気軽にきれいな写真を撮ることが可能になった世の中で、被写体の構図や技術についての評価軸とはまた別のたのしみや探究のあることが興味深いです。


共通するのは、撮る人がその場に居なければ成立しない、ということ。

写真はカメラという「道具」を頼るものでありながら、
とても能動的な「Go」と「Do」の要素を感じます。



また、紀子さんもですが、昨年9月にご出展いただいた小川愛咲子さんや、10月の坂井優斗さんなど、フィルムを使って、紙に自らプリントすることにこだわり、展示することを通して他者と交流することを願う若者たちが少なくないことが、私には意外で、新鮮な感動があります。

自らの手足を動かし、アナログであることを手放さない若者たちの生業に、
大切なものを教わり、勇気づけられる気持ちになります。


紀子さんは、なぜ「写真」撮るのか、それを用いて何を表現したいのかという極めて個人的なことを、他者と共有できる普遍的なことへと昇華し言語化する作業を、これからの修士課程の中でしていかれるのだと思います。


「写真」を用いた表現を通して投げかけられるものとの出会いを、たのしみたいと思います。