川田さんの写真は詩的である
と、やはり詩的な心得がおありなご様子のお客様が、目を細めておっしゃいました。
《蒼生 #03》
川田さんが学生時代には国文学部で学び、俳句も嗜なまれると知ったのはこの会期中のこと。
キャプションに綴られた言葉は軽やかな装いですが、その根底に、作品が発する情緒のゆえんを感じます。
《蒼生 #5》
先人の教えは実に有り難い。
実に流行有て実に流行なし。
たとはば一円廓に添て、人を追ふて走るがごとし。
先んずるもの却て後れたるものを追ふに似たり。
流行の先後何を以てわかつべけむや。
ただ日々おのれが胸をうつし出て、
けふはけふのはいかいにして、
翌は又あすの俳諧也。
これは蕪村が『桃李』の序で流行について語った言葉だけれど。
(因みに『桃李』は「ももすもも」上から読んでも下から読んでも、ももすもも。)
自分を顧みるに、先ずるものを追っている立場なのは間違いないのだけれど、
それが正しいかどうかは甚だ疑問で。
写真という表現にとって「新しい」ことが大切なのか?
それとも目新しさではなく「本質」を探求することが大事なのか……。
はたまた「新しい」ことが写真の「本質」なのか。
ただ、流行に疎い自分にとって、蕪村の「流行なんて在って無いようなもの」という言葉は大変心強く、早いところ世間が一周してきてほしいものだと願ってみたりして。
まずは、今日心にとどめたものを、そして明日はまた新しい気持で、
写真に向き合いたいと思っております。
川田 淳
(会場に掲示された挨拶文より )
《蒼生 #08》
今展の川田さんの作品は、ここ数年、挑戦してこられた、Cyanotype (サイアノタイプ/青焼)
の技法で水彩紙に焼き付けた写真がメインとなっています。
このトピックスに掲載した作品は、人物をとらえた《蒼生》シリーズ。
「蒼生」とは、漢文由来の「ひと/人々/人民」を表す言葉であるとのこと。
かねてから、自然はもとより人物を被写体にしていた川田さんですが、
昨今のプライバシーへの配慮の流れの中で、日常の人々の光景をスナップにおさめにくくなり、
被写体の模索を余儀なくされていることを3年前の展覧会の折にお聞きしました。
それでもやはり、まなざしは行き交うひとたちの生きる瞬間に向かったことが伝わってくるシリーズです。
「青焼」に重ねて「蒼(あお)」の字のつく「蒼生」をタイトルにしたとのことですが、
顔も定かでない、「人々」と呼ばざるを得ない距離感にあってもなお、
見知らぬそのひとの、人生の煌きや、来し方、行く先に思いを巡らせてしまうような瞬間に出会わせていただいていると感じます。
《蒼生 #07》
(部分)
画像はいずれも実際の色彩を再現できていません。
紙の質感や、それによって感じるインクの存在感、作家の手跡を感じさせる縁取りは、
版画のようにも感じさせる不思議な印象です。
ぜひ会場で実作品をおたのしみください。
《ふたりのそら》 川田淳(写真)× 森島明子(日本画)
2024.11.6(水)~17(日)
OPEN 11:00~17:00 ※最終日は16時まで
休廊日 11/8(金)、13(水)
▶作家在廊 11/9(土)、10(日)、16(土)、17(日)